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〜日蓮上人ゆかりの地 散策コース〜

距離 6710m / 時間 約 74分
場所の名前  
大池公園
↓14分 / 1,340m
六角堂(八木崎公園)
↓6分 / 620m
妙法寺
↓8分 / 620m
常在寺  
↓10分 / 940m
法華堂
↓2分 / 190m
鼻曲がり石
↓9分 / 750m
柳久根の柳(ヤクネの柳)  
↓3分 / 220m
五角井戸
↓22分 / 2,030m
大池公園


大池公園
大池公園
大池公園ポプラ並木が目印

富士山
富士山も見えます

六角堂


  御聖人が富士北麓を遊化されたのは文永6年柳曼荼羅の御染筆は
  この年に書かれた。元々は川窪寺屋敷と呼ばれる史跡で、1274
  (文永11年)に小立地区と縁の深い日蓮宗の開祖・日蓮の弟子や
  信徒が建てた。数回の火災、水害に陥り、文永11年8月には消失、
  その後再建を目指すも度重なる大雨、雪解け水による増水があり
  断念、1559(永禄2)に移築し、現在の妙法寺となった。
  その後も元の流失地には礎石などが残っていて、史跡地を保存
  するため、富士河口湖町が1995年、六角堂を建設した。
  河口湖が減水した時は、湖畔から歩いて渡ることも出来る。
八木崎公園
八木崎公園
6月中旬からハーブフェスティバル
  さまざまなハーブや花々が栽培されている美しい公園で、
  6〜7月に行われる「ハーブフェスティバル」のメイン会場となります。
  また、スポーツ公園としての性格も併せ持ち各種スポーツイベントの
  開会式などが行われます。
  県内有数の野鳥の宝庫でもあります。
八木崎公園
4月中旬は桜が見ごたえがあります

ラベンダー越しの富士山
妙法寺
妙法寺
  創建は1278(弘安元)年。富士山麓に流布に訪れた日蓮に帰依
  した農民28人が法華堂を建てたことに始まる。その際、農民が持ち
  寄った28枚をつなぎ合わせた紙に、日蓮が描いた
  「二十八紙大曼荼羅」は、日蓮の最大の曼荼羅と言われている。
  寺内には、法華経を守る30体の神像をまつる「三十番神堂」などの
  文化財が残されている。また、富士北麓地域の戦国時代の様子を
  著した「妙法寺記」は、貴重な資料となっている。
  

常在寺
常在寺
  妙法寺から西に約400b離れた森の中にある。元々は、真言宗の
  広門伝山法典寺だった。文永(1264〜1275)〜弘安
  (1278〜1288)年間、住職の南陽坊が小立に来ていた
  日蓮の説法を聞いて帰依。反対はあったものの、南陽坊は名前
  を日授と改め、法華宗に改宗して寺名も変えた。
  境内から眺める富士山は一見の価値ありだ。
  

法華堂(法華石)
法華堂(法華石)
  文永6年(1269年)日蓮聖人が富士山麓を流布に訪れた際、
  この法華石の上で説法したといわれます
  

鼻曲がり石
鼻曲がり石
  高さ約3bで、石の先端が象の鼻のように垂れ下がっている。
  1200年代後半、日蓮がこの場所で村人の求めに応じて大曼荼羅を  描いた際、岩の上に紙を置いてお題目を書き進めるにつれて、
  そのありがたさにお題目と一緒に垂れ下ていったという。
  

柳久根の柳(ヤナクネの柳)
柳久根の柳(ヤナクネの柳)
  文永6年(1269)染筆のいわゆる日蓮上人がお書きになった
  柳曼荼羅はこの場所にあった柳の枝で書いたといわれて
  います。

五角井戸
五角井戸
  縁が五角形になっているところから五角井戸と呼ばれる
  大変珍しい井戸。多くの人が同時に水汲みができるよう
  にとの配慮からこの形が生まれたといわれる。
  江戸時代(350年位前)に造られたと伝えられ、昭和20年頃
  まで共同使用されていた。
  
五角井戸
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